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Happy is hagging warm puppy (幸せはあったかい子犬)

Text & photo by Yoshimi Yoshimoto (Design Studio Paperweight)

2016.12.08

スヌーピーと言えば誰でも知っている『ピーナッツ』は、世界中の人々を今でも魅了し続け、生きる術を教えられた、と迄言う読者も多い。『ピーナッツ』の作者、チャールズ・M.シュルツ自身は様々な苦悩や挫折を経験し、人間にとって本当に大切なものや幸せとは何かを常に考え、有名になっても自分は取るに足りない人間であるという想いを抱き続けた。人生は挫折の連続というキーワードが『ピーナッツ』独特の世界を生んだ。主人公格のチャーリー・ブラウンはシュルツ自身の生き方そのもの、分身だった。

チャーリー・ブラウンが監督・ピッチャーをつとめる野球チームは連戦連敗。凧をあげるのもフットボールを蹴るのも満足に出来ない。彼がパレードに出ると、必ず雨が降る。飼い犬、スヌーピーは大変な皮肉屋で彼の名前すら覚えていない。バレンタイン・デーには、バレンタイン・カードを1枚も貰えず、女の子達は彼をからかって大笑い。大好きな赤毛の女の子には思いは通じず、恥ずかしくって声をかける事も出来ない…。彼を取り囲む人物は、我が儘だったり、何気ない会話の中で哲学を語ってみたりと、一筋縄ではいかない。『ピーナッツ』は子供だけの世界だが、シュルツが経験した世界の縮図として描かれている…。

シュルツは、1922年11月28日アメリカのミネソタ州のセントポール市で父カール、母ディナの間に生まれた。 生後2日目に伯父から"スパーキー"という愛称を付けられた。人気漫画に出てくる馬の名前、スパーク・プラグから取った名前だった。以来、シュルツはずっとこのニックネームで呼ばれる様になった。生まれた時既に漫画の申し子だったのだ。

幼稚園に通い出したシュルツは、父の経営する床屋"ファミリー理髪店"に行っては(『ピーナッツ』の主人公格チャーリー・ブラウンの父も床屋。)店内に置いてある新聞や雑誌に掲載されている漫画を夢中で読み、強い影響を受けた。その頃からシュルツは、自分の才能を自覚していた。年上のどの子供達より絵を描くのが上手だったため、幼稚園の先生に「いつかきっと素晴らしい画家になるわ。」と言われていた。低学年時、学業は全般に優秀で、飛び級を重ねたが、中学に入った時点で一番年下で小柄な上、内気で容姿にも自信が持てなかった。それからは苦難の連続が始まった。成績は伸び悩み、人付き合いが上手く出来ず、級友にも無視されていた。

「漫画家になるべく生まれて来たと、なかなか周囲には理解してもらえませんでした。私には新聞に連載漫画を描ける様になる事が全てだったのです。」と、シュルツは晩年語っている。

ハイスクール卒業後、第2次大戦で召集されたと同時に母ディナが癌との苦しい闘いの末に世を去り、両親との平凡で幸せな世界が崩壊した。シュルツは悲しみに暮れる暇も無く、母の死後わずか3日後に陸軍2等軍曹として機関銃分隊と共にヨーロッパ戦線に送られた。そして争いが引き起こす悲惨さを経験しながら任務を果たし、対日戦勝記念日にアメリカ本土へ生還したが、やっと見つけた最愛の恋人(チャーリー・ブラウンの恋の相手と同じ赤毛)は内気が災いして別の男と結婚してしまう。誰も自分を認めてくれない!というコンプレックスや孤独感は彼の中で膨らみ続けた。

挫折を数々味わったシュルツにすぐ絵の仕事があった訳無く、「Art Instruction Schools」の教鞭を執り、漫画の吹き出し入れの仕事をしながら苦労を重ね、様々な新聞社に自分の描いた漫画を投稿し、全国紙の漫画欄に15点の漫画を売り込むことに成功、初めて原稿料を手にした。プロになったシュルツは、漫画を全国紙等に配信してくれる会社へも売り込みを続けた。その中のユナイテッド・フィーチャー・シンジケートが、シュルツに社を訪問する様、打診してきた。『リル・フォークス』という作品が採用となり、その後『ピーナッツ』にタイトル変更、1950年10月2日、シュルツが27才の時、チャーリー・ブラウン達の小さな1歩は新聞の片隅で始まった。

そして『ピーナッツ』は徐々に人気が高まり、全米各誌に掲載が拡大、新聞漫画史上もっとも成功した漫画となり、シュルツの描く物語は最高レベルの評価を受け、キャラクターはアメリカのアイドルになった。1969年に月に向かったアポロ10号の宇宙船は『チャーリー・ブラウン』、月面着陸船は『スヌーピー』と名付けられた。

大成功を収めた『ピーナッツ』は1984年には世界75カ国、3000を越える新聞に来る日も来る日も新聞に掲載され、1日に3億5千万人以上もの人達が読む『世界一広く読まれる漫画』としてギネスブックにも認定された。

偉業を成し遂げ、ハリウッドの観光地チャイニーズ・シアターのウォーク・オブ・フェイムにおいてウォルト・ディズニーの横に名が刻まれても、謙虚な人柄のシュルツは、傲慢になったり自分を見失ったりしなかった。2度の結婚で5人の子供にも恵まれたが、彼の本質は変わらなかった。シュルツ自身が建てた子供達のためのスケート場内にある『ウォーム・パピー(暖かい子犬)』という名のカフェで朝食をとり、友達とおしゃべりをして、その後仕事場で漫画を描き、電話の問い合わせに答え、関連商品の出来上がりをチェックし、ファンからの手紙に目を通す、 という全く普通の生活を過ごした。シュルツは、50年間アシスタントを1人も付けず、『ピーナッツ』を描き続け、 1999年に引退発表をした約2ヶ月後、2000年2月12日にカリフォルニアの自宅で、結腸ガンのため77年の生涯を終えた。

1日の仕事をやり終えた時、人間として最も大切なのは「家に帰って、小犬を可愛がってやる事」、『ピーナッツ』でルーシーが話し、シュルツ自身もよく使った言葉だ。諍いや欲に我を見失うのでは無く、小犬のぬくもりを感じる幸せな気分を大事にする…。シュルツは自分の心に向かい続けた。読者の心を掴んで離さない普遍的な共感は、そんなシンプルな想いから生まれていたのだ。

アメリカの子ども達がクリスマスシーズンに必ず観る『チャーリー・ブラウンのクリスマス』が、今年もABC(アメリカ三大ネットワークのひとつ)にて放送される。

日本ではスカパーやCSのカトゥーンチャンネルなどで、peanutsアニメーションのクリスマスストーリーが数本組まれて放映されるが、アメリカのそれとは気分が違う。

まずホリデーシーズンの到来を告げる11月末の感謝祭の日から、スヌーピーやチャーリー・ブラウンが活躍し始める。

感謝祭の日のゴールデンアワーにpeanutsアニメーションの特別編を2本流す。毎年変わらず感謝祭に因むストーリーで、多民族国家のアメリカならでは、peanutsメンバーが感謝祭の由来を子どもたちに伝える役目を果たしている。

感謝祭の日の昼間、ニューヨークのメイシーズパレードにアドバルーンで出演しているスヌーピーは、てんてこ舞いの忙しさだろう。マンハッタンのビルの間、空に浮かんだと思えば、すぐに西66丁目のアッパーウェストサイドのABC本社に戻り、感謝祭のドラマ出演のためにお色直しをするのだ、という内容のジョークを、Saturday night liveの連中がネタにしていたのを観たことがある。

そしてクリスマスシーズンがやって来る。パパやママがパーティーに出掛けている間、テレビはゴールデンタイム。子守を頼まれた叔母さんやナニーと一緒に子どもたちは、1965年から変わらぬクリスマスストーリーに目を輝かせ、peanutsメンバーやスヌーピーやチャーリー・ブラウンの活躍を楽しむ。

モダンジャズの名手ヴィンス・ガラルディのサウンドトラックがリビングに鳴り響き、peanutsメンバーによるバンドがステージに上がる場面で、各家庭の子どもたちもノリノリで踊る。ほぼ毎年変わらぬアメリカ全土で見られる行事だ。


そしてパーティーからパパやママが戻る頃、すっかり躍り疲れたおチビちゃんたちは、ベッドで深い眠りについている。天使のような寝顔のその頬に、シャンパンでご機嫌なパパがキスをする。

ママは飲み足りないのか、メルローを空けてキッチンで飲んでいる。パパが再びママのところに戻る。

そして二人は手を取り、束の間のダンス。外には静かに雪が降っているはず。ホワイトクリスマスだ。ガラルディによるスロー「Christmas time in here song」がよく似合う。

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